服部 美絵
大阪音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。
中学校・高等学校教諭一種免許状(音楽)取得。
枚方演奏家クラブ所属 。
ヤマハピアノ演奏グレード4級取得。
リトミック研究センター上級認定講師。
2010年、2台ピアノの演奏会に出演。
2011年からソプラノ歌手上未歩とエスペランサを結成。
年数回のペースで演奏会を開催。
地域のボランティア演奏にも積極的に参加。
鳥居知行氏、永井譲氏に各氏に師事。
私と音楽の関わり
おもちゃよりピアノ?
小さいころから音楽が好きだったようで、気付いた時にはピアノを弾いていました。母によると幼稚園の頃、ピアノのあるお友達のおうちに遊びに行ったときに友達と遊ばずにず~っとピアノの前に座り、ピアノを触っていたそうです。母は習うにはまだ早いと思っていたようですが、私の様子を見た友達のお母さんに強く勧められ、ピアノを始めたのは幼稚園の年少の時だったそうです。
ピアノだけでは飽き足らず?
小学校2年生の時には学校の音楽会で6年生が吹いていたフルートにハートを射抜かれて「どうしても習いたい!!」と両親にねだり倒して、フルートも習い始めました。「自分でフルートを吹きながら、ピアノで伴奏できたらどんなにおもしろいだろう?」とバカげた妄想をしているとてもイタイ子供でした。中学2年の時、音楽の道に進むならどちらか一つに絞るように言われて、悩みに悩んでピアノを選びました。今でも時々引っ張り出してフルートを吹いています。(まだ、結構ちゃんと音が出せるんですよ~)
挫折続きだった青春時代
以後順風満帆な音楽な人生!!とは残念いかず、大学卒業直前にピアノ弾くことと仕事をすることをうまく結び付けられなかったことで、ピアノに向き合う意味や意義を見失い、ピアノに向き合えない時期が長く続きました。大学卒業後は実家にいてピアノがそばにあるのにピアノや音楽に向き合うことがどうしてもできなくなってしまった時期には音楽とは関係のない学童保育や学習塾の仕事をしていたこともあります。ですが、今思えば子供の成長に関わる仕事に携わっていたように思います。
自分にとってのピアノの存在に気付いた時
そして思わぬ転機が・・・。結婚し実家をはなれることになり、今まで身近にあったピアノと離れることになりました。今までとても身近にあったピアノが自分の手元になくなることに気づき、とてもさみしくなり、どうしてもそばにピアノを置いておきたいと思ったのです。あってもそんなに触る訳ではなかったのに手元になくなるということがとてもさみしいと思いました。でも、社宅にピアノは持っていけない。(寝る場所なくなるし・・・そもそもうるさいから弾けないし・・・)でも、どうしても持っていきたい!という気持ちになっていました。そこでポータブルの電子ピアノを結婚前に購入しました。その時初めて、ピアノは自分にとって体の一部みたいなものなんだと実感しました。
ピアノ教室を始める。
子どもが生まれるのとほぼ同時に枚方に引っ越し、実家にあったピアノが我が家にもどうにかおけるようになりました。
子供が2歳になった時に、外で子どもと遊んでいると知り合いのママ友さんが、チラシを配っていました。見せてもらうと「ピアノ教室」のチラシ。
経歴を見せてもらうとなんと彼女は私の大学の先輩だったのです。そのご縁から枚方演奏家クラブに入会させてもらうことになり、色々な演奏会に出演しました。恥ずかしながら今までのブランクに大いに気づき、もう一度ピアノを勉強しなおしたいと思い、少しずつですがレッスンに通うようになりました。
そのころから細々とですが、自宅でピアノ教室を開設。
その後、教えられることや音楽の引き出しを広げるためリトミック研修センターの月例研修会に通い、リトミックの勉強をしました。
今は、ピアノを通して音楽の楽しさを伝えられるよう、昨日より一歩でも上達できるように向上心を忘れず、新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。
服部美絵の秘密のプロファイル・・・
趣味はバレエです。30代になってから体力づくり(ダイエット)を目的に始めました。どれくらい痩せたかというとそれはトップシークレットです。ですが、姿勢がとてもよくなりました。今でも毎週楽しく、体を動かしています。
実はアタック25に2度出場したことがあります。出場のきっかけは一緒にアタック25を見ていた旦那さんに「出られるんちゃうん?」と言われたことでした。1度目は3枚しか取れなかったのですが、2度目は7枚パネルを取り、一時はトップに立ち最後まで優勝争いに絡みました。次こそは優勝してヨーロッパ旅行を勝ち取りたいです。